釣りはいい。
川で釣り針を垂らしていればうるさく話しかけてくる人間はいないし、
運が良ければその日の飯が手に入る。
ひとりで考え事をする時にはちょうどよい体裁を繕えた。
こうしていれば口うるさい者が好き勝手言い始める心配がない。
そういう者達は釣りをしていても遊んでいるだの
何かしら文句をつけるのかもしれないが。
「元気がないですね。また陰口を叩かれたのですか?」
聞き覚えのある声が自分を現実に引き戻す。
首をひねると、土手の上に最愛の女が仁王立ちでそこにいた。
「ねね」
「どうせ作法を知らないだの農民の出のくせに分を弁えないだの言われたのでしょう」
ねねは軽やかな動きであっという間に土手を下りると、自分の横に腰を下ろす。
ふわりと揺れる髪と着物が腕に触れてくすぐったい。
「秀吉様は優しい方ね。心ない者達の声にも傷ついてしまう」
川の遠くの方で魚が跳ねる。
ぼんやりとそれを見つめていると、ねねの手が伸びてきて両手で顔をつつみこんだ。
そしてお互いの顔を突き合わせる。彼女は眉間にしわを寄せて少し悲しそうな顔をしていた。
「秀吉様は秀吉様らしく、堂々として下さい」
彼女の声はよく通る爽やかなものだが力強くしっかりと重みがある。
その声と言葉が自分の心にすっと染み込み、胸のあたりに温度を持って溜まる。
「あの方達は身分に守られていることに気付かず、野望という言葉で飾り立てて自分のことしか考えていない」
彼女の手の温かみがじんわりと頬に伝わる。
「秀吉様は新しい道を切り開きました。武士は武士、農民は農民にしかなれない世を変えました」
そう、自分が先駆けとなって、いままでの社会の仕組みを変えようとした。
農民は農民、武士は武士にしかなれない世を変えようと思った。
そうすれば才能のあるものが世を動かし、皆が平和に暮らせる世を作れると思ったのだ。
「それがあなた様の夢でしょう?」
「ねね」
目を開くと、ねねは笑っていた。
太陽のようにあたたかい彼女の笑顔をみるとさっきまでの卑屈な自分が消え、心が軽くなる。
「あなた様には半兵衛様と慶次がいるではないですか。作法ならお二人に習えばいい。
わからないことや知らないことは二人が教えてくれます」
だから安心してあなたはあなたの思うように動いて下さい。
そう言われるとひどく安心する自分がいた。
そしてもう何度目になるのか、自分は彼女に愛されいるのだと自覚し
自分もまた、彼女を愛してると、愛したいと思うのだった。
釣り20111107