男はあまり自分のことを語らない人間だった。
そのくせ他人にはやたら干渉し、無遠慮に恋だの愛だの押し付けてくる。
迷惑以外の何物でもなかったが、人懐っこい男の顔を見ると強くは言えなかった。
そんな女が一度だけ、過去を語ったことがある。
酒も入っていないのにえらく意識は朧気で力なく畳の上に横たわる彼は
風を通すために開けた襖をぼんやりと見つめていた。

「…前にもいたんだ、一緒に、こうやって」

口からぽつりぽつりと思い出が零れる。その中に一度も聞いたことのない名が含まれていた。







「そんなことの為に君達は動くのかい?」
半兵衛の目が鋭く光る。
「確かに命懸けで調べるようなことじゃないかもね」
だが、気付いてしまった。調べれば調べるほど不可解な話。
豊臣秀吉と前田慶次の確執。その奥にちらつく影。それらを隠す竹中半兵衛。
それに一体何の意味があるのか。一体何があるのか。
「俺様の調べでは全ては『ねね』という女に繋がる…でもこの女は」
「黙りたまえ」
ピシャリと怒気のこもった声が遮る。半兵衛はゆっくりと歩き外を眺める。
今夜は満月。月明かりに照らされる男の後ろ姿はとても儚く見えた。
敵に背中を向けるとはどういうつもりだ。佐助の指がぴくりと動く。
「君がどんな情報を掴んで、どんな想像を巡らそうとも、僕には関係ない。君にも関係ない」
「確かにそうなんだけどねぇ。気になったら知りたくなるのが人の性ってもんだろう?」
「君は忍びだろ?」
「上田の方針は、忍びの前に人であれなのよ」
「おかしな方針だね」
「やっぱり?」
軽口を叩き合いながら、半兵衛はさり気なく話題を変えようとしている。
それを見逃す佐助では無い。先手を打とうと口を開いた瞬間
「秀吉と慶次君は旧友」
先手を打ったのは半兵衛の方だった。
「秀吉はねねという女性を愛していた。慶次君もねねという女性を好いていた。
 そして秀吉はその女性を殺し、慶次君と袂を分かつ。…ただ、それだけさ」
それが彼らの『真実』。それ以上もそれ以下もなく永遠に変わらない『真実』。
だが佐助はその『真実』に隠された『事実』があることに気付いてしまった。
そして知りたいと思ってしまった。隠し事を暴くのは下世話なことだろう。
しかし力を尊び、『強さ』を尊重する彼等が、隠すと言う『弱さ』を見せた。
それほどの、もの。
「アンタらにとっちゃ触れられたくないものってことだけは理解できる」
「ではそのまま帰ってくれたまえ」
「言っただろ?知りたがるのは人の性」
嘘臭く笑う佐助を、不機嫌そうに半兵衛は見つめた。
「調べるの苦労したんだよ?なんせ手掛かりは名前と性別だけ。その名前すら本名かわからないしさ」
佐助は部屋を歩きながら、頭に詰め込んだ情報を吐いていく。
「前田、豊臣、織田、その他諸々あんた達に関係があるところ全てに探りを入れた」
「暇なんだね君達は」
「部下がたくさんいてよかったよ。その部下達の頑張りのおかげで面白いことがわかった」
「…」
半兵衛は静かに佐助の話に耳を傾ける。
余裕なのか、興味があるのかはわからない。
佐助は少し間をおいてから半兵衛と向き合い口を開いた。

「そんな人物は存在しない」

半兵衛の口端が僅かに上がる。
「それが君の答えか」
「事実だろ?だから俺様はあんたに会いに来た」
『ねね』は秀吉と慶次…二人の男の関係に深く関わり、人生の分岐点となった人物。
それが存在しない。では秀吉と慶次の確執はどうなるのか。辻褄が合わなくなる。
「残念だけど『彼女』は存在したよ」
「意外とアッサリ言うね。でもそれは『嘘』だ」
半兵衛等を隅々まで調べ上げた佐助にはそう断言できた。人は存在する限り必ず何かを残す。
物、痕跡、人の記憶、噂…特に形を持たない情報は、佐助や風魔のような忍びであっても完璧に消すことは難しい。
「確固たる自信があるようだね。
 しかしそれは君や世間での物差しで図っただけに過ぎない
 人とはもっと複雑で理解しがたいものだよ」
半兵衛はおもむろに目を伏せた。
含みのある言い方と意味深な態度に佐助は不信感を持ち、警戒態勢に入る。
「…僕は、彼女を静かに眠らせたい。これ以上ひっかきまわさないでくれたまえ」
半兵衛は氷のような冷たい視線を佐助に送る。
佐助はこれ以上の収穫はないと踏み、危険が及ぶ前に姿を消した。
気配が消え、一人きりになった半兵衛は小さくため息をつく。
「全く…抜け目のない…」

(自分の存在した証を一切残していないなんて)

「ねね。君は最初からわかっていたんだね」




閑話休題20110627