しまったと思った時には遅かった。
体は重力に逆らえず水の中に吸い込まれてしまう。
浮き上がろうと手足をバタつかせたが、水が泥のように重く、うまく動けない。
為すすべもなく仰向けのまま水中へ沈んでいく。どんどんどんどん沈んでいく。
「おや、珍しい」
水中の筈なのに声がした。声を感じた方に首を向けると髪の長い男が漂っていた。
溺れ沈む自分とは対照的に、流れに身を任せて、寛いでいるようにすら見える。
「こんなところまで何用だい?」
男は体を横向きにし、片手で頬杖をつく。もちろん地面はない。
男があまりにも自然に振る舞うものだからその不自然さに気付くのに少し時間がかかった。
そしてようやく彼の質問に辿り着く。何の用だと言われても用などあるはずもない。
ここに来たことは偶然で、事故だ。得体の知れないこの男こそ、溺れている人間に何の用だ。助ける素振りは全くない。
返答を返せないでいると、いつの間にやら随分と深いところまで沈んだようだ。
薄暗い水の中でふと、自分はこのまま沈んで死んでしまうではないかと思った。
傍観を決め込んでいる風な男は黄泉からの使いで自分を連れて行こうとしているのではないか。おかしな考えが頭を巡る。
「なあ大丈夫かい?」
なかなか返事を返さない自分に、男は心配そうな顔をして再度声をかける。そして小さくため息をついた。
「アンタもいつかくると思ったけどこんな所まで来ちゃいけないよ」
男は自分を知っていた。そしてここへ来ることも知っていた。男を凝視する。何故、どうして、貴様は。
頭が混乱する。聞きたいことはたくさんあるのに声が出てこない、体がうまく動かず沈んでゆく。
「上に行きたいんだろ?」
突然男は頭上を指差した。
「行きたいなら願えばいい」
指の先には光を受けて揺れる水面。光は拡散しながらもかろうじて自分達の体に届く。温かみを感じるそれはとても心地良かった。
「体はいらない。大事なのは心さ」
男かに口角を上げ、微笑んでいた。
聞きたいことはたくさんあったが、穏やかな声に促され「行かなくては」という気持ちにかき消された。
暖かい水面に気持ちと目線を向けるとさっきまで沈む一方だった体が少し浮いた気がした。
それがきっかけになったのか体はゆっくりだが確実に浮上していく。
信じられない。必死に浮き上がろうとした時は全く駄目だったのに。思わず男の顔を見た。
「ほれ上見た上見た」
男は笑顔で茶化す。その笑顔が少しずつ遠ざかっていく。
水面からの光が徐々に強くなってきて、視界と意識が霞んだ。
漠然と、今ここで意識を手放したら、次目覚めた時にはここでのことは全部忘れてしまうのだと思った。
刹那、体を捻って下を見ると、男はまだそこにいて自分を見上げていた。
(貴殿は…)
行かないのか。なんとなく、口が動いた。
声にはならなかったが男にはきちんと伝わったのか、弧を描いていた口がゆっくりと開く。
「俺はいけないんだ」
男は言った。
「答えを聞かないままみんなと別れちまった。あるはずの答えを俺はもう知ることが出来ない。だから」
だから?男はそこで言葉を切った。辛気くさい話は止めたとでも言う風に。
「さあさあ早く行っちまいな。みんなアンタを待ってるぜ。真田幸村」









無題20101016
どうでもいいあとがき。「無題」(伊達+a)と空間的に繋がってます。個人的な見解で、水辺→伊達、水面&水中をうろうろ→慶次、一瞬水中→幸村みたいな。