人は何故、こうも月に惹かれるのだろうか。
見慣れない袴姿で土手に座りこみ真田幸村は一人で月を眺めていた。
毎晩のように見れるものを人は何故愛でるのか、生粋の武士である以前に
雅な趣味に興味がない男はいつも不思議に思っていた。
今夜の空は雲がかかり、時々雲の薄いところが月の輪郭をぼかしていく。
静かな夜だった。
「今夜は片割月ね」
女の声がした。いつの間に現れたのか、幸村と少し距離を取る形で土手に座り月を見上げる女がいた。
身なりからしてただの町娘に見えるが、どことなく俗世離れした雰囲気を漂わせてる。
「不思議よね。あの丸いお月様が半分になるのよ」
ゆったりとした優しげな声だった。女の視線の先には体の半分が欠けてしまった月がある。
「あなたもそう思わない?」
女は幸村に問いかける。だが幸村は口をつぐんだ。
この女が怪しいからではない。単に感想を持ったことがなかったからである。
「私はこう思うの、月が出てるとみんな月を見るでしょう?
 だから夜空が嫉妬して中途半端に隠してしまうの」
年頃の娘が思いつきそうな夢見がちな空想。
自分には考えもつかないと幸村は思った。
「そしたら私の知り合いはこう言ったわ」
二人の間はさほど離れていないにもかかわらず、前髪やそれにかかった影のせいで女の顔は見えない。
「月の半分は食べてしまったんですって。酷いでしょう?
 月を食べるなんて、あれは誰のものでもないのに。
 でもね、あの人は真面目な顔で言ったの」
女の言葉は空想というよりは妄想に近かった。こういった類の人間を「狂人」と
いい、深く関わってはいけないと幸村は教わっていた。
油断すれば取り込まれてしまう、と。それを思い出し幸村は女から視線を外す。
それとほぼ同時に厚い雲がかかり月が姿を消した。
光を遮られた地上は薄暗くなり心なしか寒い。
だが女は気にも止めず、月が見えていた場所を見つめ言葉を続ける。
「理由がね、空を見上げる私の視線が、少しは自分に向くかもしれないと思ったからですって」
女の声色はどことなく哀愁を帯びていた。
幸村は空想にほんの少しの現実が織り交ぜられたような気がした。
狂人は果たしてこの女なのだろうか。
狂人は彼女の言う「あの人」ではないのか。そもそも誰も狂っていないのか。
「あんなに綺麗なのだから食べてしまうことないのにね」
女はぽつりと呟いた。夜空を覆っていた雲が流れ再び半分の月が姿を現す。
幸村が明るくなったと思った時には隣に座り喋っていた女の姿は無かった。
かわりに遠くの方で幸村に手を振る人影が見えた。
「ごめん遅くなったー!」
前田慶次。今日はこの男とここで月見をする約束をしていた。
半月に月見とは変わっているが本人曰わく、少しでも月があれば変ではないらしい。
手には風呂敷包みがある。
「ちょっと人助けしててさあ〜」
男はどかりと先ほどまで女がいた場所に座った。
「遅れたお詫びに奮発してたくさん買ってきたんだ」
風呂敷を解くと色とりどりの団子が並んでいた。丸い団子が月を連想させる。
幸村はじっと団子をみつめた。
「それ新作だって」
慶次は幸村の見ていた団子をひょいとつまみ、口に放り込む。
「あんたも食べなよ。美味しいよ」
促され、幸村は団子を手に取り口に含む。
口に含まれた食べ物は噛み砕かれ、唾液と混じり、喉を通って、胃で消化される。
食べるというのはつまりそういうことだ。幸村は女の言葉を思い出した。
「貴殿は」
この男ならなんと答えるだろうか。
「ん?」
「なぜ月が半分になると思う?」
幸村の突然の問い。慶次は咀嚼していた団子を飲み込むと半月を一瞥した。
そしていつものように笑顔を作り
「俺が食うからだよ」



片割月20090418