昔から綺麗な物が慶次は好きであった。
自然、人、人が作り出した物。様々なものに価値を見いだし好んだ。その中で彼は特に
人が作り出したものを身に付けることを好み、簪や男物にはない色鮮やかな着物を
身につけ女の出で立ちをする事もしばしばあった。
「こら慶次!またそのような格好をして!恥ずかしくないのですか!」
慶次の叔母のまつの怒声が屋敷に響く。
「いいじゃんかよちょっとくらいー!」
慶次はまつが振り回す箒を避けながら縁側を走っていた。まつが怒るのも無理はない。
金銀糸で刺繍が施された山吹色の小袖、赤い細帯…それはどこからどう見ても
「女子の格好など男子がするものではありません!」
「ちょっと派手にしただけだよ!」
言い訳にしか聞こえない屁理屈を叫んで慶次は草履を足に引っかけるとそのまま
前田家の門を抜ける。
「慶次!待ちなさい!」
「夕方には戻ってくるよー!」
まつの制止の声を背に受けながら慶次は鮮やかな袖を翻し走り去った。
――――――――――
叔母から逃げ、慶次の向かった先は賑やかな城下ではなくそこより少しばかり
離れた森の中だった。青々とした若い緑が太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
慶次は慣れた足取りで獣道を奥へ奥へと進んでいくと開けた場所に辿り着く。
河原だ。大きな岩や石がまるで絨毯のように広がり、曲線を描きながら
下流へ繋がっている。洪水時にはこの場所全てが水で覆い隠され大きな川に
なってしまうのだろう。だが今は岩の間からせせらぎが聞こえる小さな川だ。
太陽の光が水に反射して眩しい。目をつむると心地のよい水音が
聞こえてくるこの場所は慶次のお気に入りだった。
ここ最近慶次は頻繁にこの場所へ訪れていた。
「おっいたいた」
視線の先には岩の上に鎮座している小猿。慶次は小猿に駆け寄ると懐から
色艶やかな柿を取り出し小猿に差し出した。
「お前これ好きだろ、やるよ」
「キキッ」
小猿は怖がる様子もなく慶次の手から柿を取り、嬉しそうに食べ始めた。
慶次は岩の上に腰をおろしそれを穏やかに見つめる。
この小猿との出会いは数ヶ月前、親とはぐれ鳥に襲われそうになっていたところを
みつけ、助けたのが最初だった。それ以来、慶次はことあるごとに食べ物を携えて
小猿に会いに行くようになった。
「キッ!」
柿を夢中で食べていた小猿が突然岩から飛び降りそのまま森へ駆けていく。
「あ、おい待てよ」
子猿は慶次の声に振り返ることもせず茂みに消えていった。
「どうしたんだろ」
いままでこんな事はなかったのに、嫌われることをしたわけでもない。
慶次は首を傾げた。その時、背後に何かの気配を感じた。
「お嬢さんが一人で出歩くなんて危険だぜ?」
振り向くと男が三人、にやにやと笑いながら立っていた。山賊か。慶次は眉をしかめる。
山で過ごすことが多い慶次にはさほど珍しい人種ではなかった。
大方女のような出で立ちをした自分を見つけ、一人でいるのをいいことに浚って売ろう
という魂胆だろう。もしくは自分達で楽しんで殺した後、着物を売る…卑しい連中だ。
慶次は小石を気付かれないように握り締めて立ち上がった。
「生憎俺はお嬢さんじゃないぜ」
今日は武器を持っていない。一人なら素手でもなんとかなるだろうが、相手は三人。
しかも腰には強奪したのかなかなか立派な刀を差している。さらに隠れる場所のない
河原となれば慶次の分が悪いのは一目瞭然。石をぶつけ怯んだ隙に逃げるしかない。
こんな連中を野放しにしておくのは我慢なら無いが下手をすれば自分の命を落としかねないのだ。
慶次の姿と声を聞いた男達は女でないと判ると目を大きくして驚いた。
「これはこれは男だったか」
「女が1人でこんな所にいるわけないだろ」
お前等みたいなムサくて下品な男が出るかもしれないのによ、と挑発すると男達は
怒りを露わにして刀に手をかけた。やれやれ沸点の低い連中だと慶次は呟くと
握っていた小石を男達の頭であろう男に顔に投げつけた。
「いてぇ!」
狙い通り、男が怯んだ隙に慶次は全速力で茂みに向かって駆け出した。
茂みに隠れてしまえば撒くのは造作もないこと、とにかく今は逃げる。
茂みがもう目の前にきた、その時だった。ビリリと頭に痛みが走る。
何が起こったのか理解する間もなく慶次は後ろに引き戻された。
「ったくこの餓鬼ゃあ!」
男の怒声がすぐ後ろに聞こえる。頭皮が痛み、地に足がしっかりと着いていない、
そこでようやく髪を掴まれたのだと理解した。
「っ…」
「舐めた真似しやがってぶっ殺されたいのか!」
だから髪は悪戯に長くするなと叔母の忠告が頭をよぎる。こんなことなら言い付けを
守っておけばよかったと慶次は心の中で溜息をついた。髪を掴まれては身動きは
取れない。慶次の髪を掴んだ男は大声を出してさほど遠くない位置にいる二人を呼ぶ。
頭の男といかにも雑魚そうな男が足早で近づいてきた。嗚呼もう逃げられない。
「とんだお嬢さんだったな」
頭の男は石の当たった顔をさすりながら、慶次の顔を覗く。殺されるか?あまり
殺気は感じないが心臓の鼓動が徐々に早くなっていくのがわかる。慶次は男の顔を
じっと見つめていると、男はにやりと笑った。
「連れてくぞ」
「え…?」
声を出したのは慶次だった。頭の男は縛っておけと二人に言い付け歩き出す。
とりあえず一命は取り留めた。
が、この後どうなるかわからない。どこかに連れて行かれて酷い殺されるかもしれない。
しかし今の状態から逃げることも出来ず、慶次は手首を束縛された。
――――――――――
逃げる機会を伺いつつも結局叶わず、連れていかれたのは森の奥にある小さな廃屋だった。
慶次もこの廃屋は知っていた。もう何年も使われていない風だが壁や屋根に酷い損傷はなく
時折旅人が立ち寄り宿として使う廃屋というにはちょっとした休憩所のようなものだ。
男達はそこへズカズカと入っていき、寝室に当たるだろう奥の部屋の戸を開けると慶次を投げつけた。
「っ…」
「サネ!お前は外で見張ってろ」
頭の男、ここに連れてこられる間男達の会話を聞いていたがどうやら「兄い」と
呼ばれているらしい。慶次を投げた長身の男は喜一。そしてサネと呼ばれた雑魚
そうな男は兄いの怒声にビビりながら部屋を出ていく。彼が襖を締め切る前に床に
倒れたままの慶次は喜一に腕を力一杯掴まれ床に押し付けられた。
「っ…!」
「とりあえずその綺麗なベベを脱いでもらおうか」
頭が帯に手をかける。兄いの発言で彼らの狙いは一番の狙いは着物、慶次はそう
判断した。だとしたら脱がされた後…彼らには自分を生かしておく理由はない。
用無しの厄介者の行く末は「死」体中の血が一気に引いた。
急に現実味をおびたそれに体を強ばらせる。
「やっやめろ!」
しかし必死の抵抗も虚しく帯は解かれ、男の手は小袖を脱がしにかかる。
だが慶次の腕が縄で拘束されているせいで脱がすことが出来ない。
「ちっ縄が邪魔だな」
兄いは慶次の二の腕を押さえつけ、視線を送ると喜一はきつく縛られた縄を解い
ていく。縄が緩んだ瞬間慶次は兄いの腹辺りを思いっ切り蹴り上げ、それに驚き
拘束する力が緩んだ喜一の腕から逃げる。起き上がり全速力で走りだした。が、
場所が悪かった。目の前には壁、男達から逃げることに意識を取られすぎたのが
失敗だった。出口をはむなしくも反対側。慶次は勢いあまって壁に体をぶつける。
「この…」
怒気のこもった兄いの声が後ろから聞こえた。振り返らずとも刀に手をかけているのが
わかり背中が水を浴びたように冷たく感じた。いよいよ目の前に迫った死の恐怖と
向き合うかのように恐る恐る後ろを振り返ると兄いの拳が飛んでくるのが見えた。
慶次の体は殴られた衝撃で部屋の隅に飛ばされ倒れ込んだ。
「っ…あ」
「いい加減にしねえと殺すぞ!」
体を強かに打ち付けた慶次は抵抗する間もなく強引に小袖を派がされた。山吹色の
小袖がなくなると鮮やかな、鮮やか過ぎて目に痛いくらいの赤襦袢が姿を表す。
暴れたことで乱れたそれと大人へと成長しきれていない中性的な体の組み合わせは
慶次を下手な遊女よりも艶めかしく見せた。男達がごくりと唾を飲む。
慶次は先程までの殺気や怒りとは違う、妙な気配を感じ体を強張らせた。(何?)
考える前にだんっと男が慶次に覆い被さる形で床に手をつく。
そして着物の合わせに手を入れ太股に触れた。
「っ」
「大人しくしろよ…」
兄いの手は大腿を下から上へと吸い付くようにねっとりと撫で上げ、そのまま下履きの
中へと潜り込む。そして慶次のものを掴むとやわやわと緩くしごき始めた。
「あ…っ」
慶次は思わぬ刺激に声を上げその刺激から逃げようと身を捩る。だが兄いの手が
離れることはない。離れるどころか逃げようとするとぎゅっと強く握られ、全身が痺れた。
目の前が真っ白になる。頭の扱く手が早まり自然と慶次の息も上がる。
体の力が抜けていき抵抗らしい抵抗も出来ず、はぁはぁと大きく呼吸をする慶次を
みて兄いはにやりと笑う。
「お前も男だな」
「は…っ」
「勃ってるぜ」
耳元で囁かれ慶次は赤面した。自分の無防備な部分を全くの他人に弄ばれる、
悔しくて恥ずかしくて堪らなかった。目頭が熱くなり視界が徐々に歪んでいく。
泣いては駄目だ。
「急にしおらしくなっちゃって可愛いねぇ」
そんなに気持ちいいのかと問う兄いを必死に否定しようと首を振るが兄いの手の
中にある自分は段々とその質量を増していく。
「…は」
「キツいか?まあ下履きの中だからな。おい喜一こいつを押さえてな」
「やれやれ兄いも好きだねぇ」
喜一はぐったりと脱力した慶次を後ろから抱きかかえる形を取った。兄いは慶次の
上半身が拘束されたのを確認すると慶次の両膝を掴み大きく開かせようとした。
「っ…やだ!」
慶次は足を必死に閉じ、前のめりになる。その時、偶然にも慶次の髪が喜一の目に
入り、一瞬拘束が緩んだ。慶次は無我夢中で喜一の腕を引きはがすと、兄いの腰に
ある刀に手を伸ばした。
「ぎゃああああ」
小屋に叫び声が響いた。外で見張りをしていたサネはその声に思わず飛び上がる。
何が起こったのか、恐る恐る引き戸に目をやるが、何事もなかったかのように引き戸は存在している。
「……」
音を立てないように引き戸を引き、中を見渡すが変わった様子もなく奥の部屋へ続く
襖もキッチリと閉められている。妙だ。サネは思った。三人も人間がいるはずなのに
物音一つしないなんて。ふいに仲間の顔が頭をよぎり、サネは考えるよりも先に勢いよく襖を開けた。
「…ひっ…!」
ギラリと血に塗れた刃が不気味に光る。
その切っ先には血にまみれた見知った顔が二人、床に倒れていた。サネは思わず
尻餅をつき後ずさる。あまりのことで声が出ない。恐怖と驚きで震えるサネを鋭く冷たい視線が捉える。
「二人は殺してないよ」
意外な言葉が出た。彼の言うとおり、倒れている二人から微かだがうめき声が聞こえる。
慶次の手からするりと刀が滑り落ち、脱がされた着物を手に取る。
「これに懲りてもう二度と悪いことするなよ」
そう言い放つと慶次は外へ出ていった。
陽が傾き始め、カラスの鳴き声が聞こえる。慶次は昼間いた河原で赤襦袢姿のまま、
岩に腰掛けぼんやりと川の流れを見つめていた。
「……」
キィ。水の流れる音に混じって動物の声が聞こえた。慶次が顔を上げるとあの小猿が
近くの茂みからちょこんと顔を出していた。小猿は茂みから出てくると、慶次の肩に
飛び乗りぴょんぴょんと何度も飛び跳ねる。まるで慶次のことを元気つけているようだった。
「なんだあ?気ぃ使ってんのか?」
慶次は口の端を上げて笑うと小猿を肩から下ろし、膝の上に置いた。
「俺は大丈夫。大丈夫だよ」
そう呟き小猿を撫でる。その手が震えていたことは、誰も知らない。
――――――――――
山を下りた頃には、陽は完全に沈んでいた。
慶次は身なりを整え、何事もなかったように前田の家へと向かう。家の近くまで
いくと提灯のあかりがひとつ、ふたつ、見えた。目を凝らすとそれは叔父と叔母だった。
夕餉の時間になっても帰ってこない甥を心配して探していたのだ。
慶次は小さく息を吐き、思いっ切り息を吸い叫んだ。
「利ー!まつ姉ちゃーん!」
甥の声に利家とまつは振り向く。明かりをかざさて目を凝らすと甥がこちらに向かって
走ってくる姿が見えた。二人はホッと胸をなで下ろし、すぐいつもの様に叱咤した。
「こら慶次!こんな時間までどこを遊び歩いてたんだ!」
「みな心配したのですよ」
叔父叔母の様子に慶次は内心胸をなでおろして、慶次もいつもの様に言い訳をする。
「ちょっと遠くまで行き過ぎちゃって…」
「全く…夢中になるのは良いですが程度を…慶次!その顔はどうしたのですか!」
まつが声を上げる。提灯の明かりが慶次の頬を照らすとそこには生々しい痣が出来ていた。
「えっ…とこれは」
不味い。慶次はとっさに言い訳を考える。
「また誰かと喧嘩したのですね!全くあなたは…さあ帰りましょう」
言い訳を思いつく前にまつは慶次の手を引き、前田の屋敷に連れて行った。
まつは言葉を挟む暇もなく、テキパキと濡れた手拭いを慶次に渡し頬を冷やすように言うと
部屋に込み、手当の道具を取りに出て行った。部屋には慶次と利家が残された。
慶次は渡された手拭いで頬を冷やし、利家は慶次の隣に腰を下ろした。
いつもなら煩いくらいに騒ぐ叔父がこの時に限っては何故か静かで、昼間のこともあり慶次は少し緊張した。
「…慶次」
利家が口を開く。
「何?」
「何かあったのか?」
利家の言葉に慶次の心が一瞬揺れる。
「…なんでもないよ。いつものように悪戯して、喧嘩して…今日はちょっとしくじったけど」
「そうか」
利家はいつになく真面目な顔で短く言った。慶次は自分を本当に大切に思ってくれる叔父に
嘘をついていることに少し心が痛んだ。しかし真実は更にこの叔父を悲しませるだろう。
真実。慶次はまだ体に残っている感覚と記憶を思い出し、背筋が冷たくなった。
「慶次」
再び名を呼ばれ急に現実に戻される。
「喧嘩もいいがあまりまつに心配をかけるな」
「…うん…」
慶次は小さく頷いた。今日あった出来事は自分の心の奥底に沈めてしまおう。
それが誰にとっても一番良い方法なのだ。
程なくして慶次はまつから手当てを受け、三人だけの遅い夕餉を取った。
夕陽が沈む20071231/加筆20090814